サンスルのお洒落かつお上品な雰囲気の漂う喫茶店で、ランジエとティチエルは昼下がりのコーヒーブレイクを楽しんでいた。
テーブルにはカップが二つ。雑誌を読んでいるランジエの前にはコーヒーがあり、向かいに座っているティチエルはココアラテを美味しそうに啜っている。
ゆったりと止まりそうなほど平和な時間が流れる。
そんな空間の中、雑誌のページをめくっていたランジエが、さらりと、すりおろしリンゴの如く呟いた。
「ティチエル、今日は一緒にお風呂に入りましょうか」
ココアラテを啜っていたティチエルはカップの中に勢いよくラテを噴きだした。
ごほごほと咽ながら紙ナプキンで口元を拭うと、ティチエルは向かい側のランジエを睨み付けた。
「お断りするのですぅ」
「何を仰います。好き合う者同士同じ風呂に入ることは、至極真っ当なことですよ」
数秒前まで雑誌を見ていたランジエは、しっかりとティチエルの方を見つめにっこりと微笑んでいる。
ティチエルはキラキラと胡散臭い笑顔を撒き散らすランジエにうっと圧倒されつつ、カップをテーブルに置いた。
「当たり前みたいな顔で言われても入りませんよぉ」
「なぜです!」
「だって……」
ティチエルは顔を赤らめて目を伏せた。
恥らえば五分五分で切り抜けられるだろうという、女優ティチエルの神演技である。
「裸を見られるのも、裸を見るのも恥ずかしいのです……」
かあっと耳まで赤くして俯いてしまったティチエルのもじもじ具合を見たランジエは、胸元のタイをぐしゃりと握りつぶした。
顔はにっこりなんてレベルじゃないほど緩みきっており、少し力が抜ければ顔面崩壊寸前だった。
ティチエルの奥ゆかしさ(演技)をいたく気に入った様子のランジエだったが、ふるふると自分を律するように首を振りティチエルの髪に触れた。
「ティチエル、あちらの方を見てください」
髪を引かれ、顔を上げたティチエルはランジエが目くばせした方をちらと見た。
そこにはよく知る二人の男女がいた。
ふわふわの薔薇色の髪の少女と、ハニーブロンドの美しい碧眼の少年。アナイスとルシアンだった。
二人はランジエとティチエルのいるテーブルから、比較的近い場所に座っており何やら会話をしているようだ。
聞き耳を立てると、きゃんきゃんとアナイスの子猫のような声が聞こえてくる。
「ねーねー。ルシアン」
「ん、何? アナベル」
アップルパイにフォークを入れていたルシアンは首を傾げてアナイスを見た。
ルシアンの瞳がアップルパイから自分に向いたことが嬉しいのか、アナイスは喜色満開の笑顔でルシアンの腕にしがみ付いた。
「今日、一緒にお風呂に入ろうよっ」
「え!」
腕にしがみ付かれながらも、器用にアップルパイを切り分けていたルシアンは驚いたように瞳を見開く。
アナイスは上目づかいでルシアンに詰め寄る。
「アナベルと一緒にお風呂入るの、嫌……?」
と、ここまでの会話を見ていたランジエがずばりと言った。
「ティチエル、今時の女子にはあれくらいの積極性があってもいいのですよ」
「えー」
「私はあなたに『ねぇ、ランジエさん……。ティチエル、今日はランジエさんと一緒にお風呂に入りたいのですぅ』と言われたら即ルパンダイブする準備ができているのですから」
「……」
似すぎている自分のモノマネに若干どころではなくきもい、と思ったティチエルはあえて言葉に出さず、ランジエを軽蔑の眼差しで見た。
が、ランジエはそんなことを気にするはずもなく、またルシアンとアナイスの会話を見守る体勢に入った。
アナイスに上目づかいですり寄られたルシアンは、切り分けたアップルパイの一欠片を口に入れ、咀嚼しながら答えた。
「うーん。今日はちょっと無理かな」
「えー!? なんでっ!?」
ルシアンの答えを聞いた瞬間、ランジエの顔が一瞬凍りついたのをティチエルは見逃さなかった。
「ランジエさん。ルシアン、断ってますよ」
「……ありえない。これは……私達が望む幸せではない……!」
顔に手を当て、某Qの渚さん張りの動揺をするランジエに、ティチエルはため息を吐いた。
しばらく何を言っても通じなさそうなので、仕方なくルシアンとアナイスの成り行きを見守ることにした。
「なんで、なんで、なんでっ! アナベルと一緒にお風呂に入りたくないの!?」
ぽかぽかとルシアンの肩を乱打するアナイスに、ルシアンは困ったように眉を寄せていた。しかし、アップルパイを食べながらなのでいまひとつ緊張感に欠けている。
ルシアンは口に入っているアップルパイを飲み込むと、口を開いた。
「そんなことないよ」
「嘘、嘘っ! そんなこと言って、ティチエルとかクロエに言われたらほいほいお風呂についていっちゃうんでしょ! どうせアナベルは貧乳ですよーっだ!」
「貧乳は関係ないよ。僕、貧乳も好きだし」
「ほんと!」
「うん」
ルシアンがにっこりと笑うと、アナイスはうわーい! とルシアンに抱きつく。
「ルシアン大好き! じゃあ、一緒にお風呂に入ろう!」
「うん、でもそれは断る」
「な、なんで!」
アナイスが頬を膨らませてルシアンの腕を引っ張ると、ルシアンはアップルパイの最後の一欠片を飲み込んで言った。
「えっとね」
「うん」
アナイスは不安げにルシアンを見つめる。
「僕、一番好きなのは君の匂いなんだ」
「え?」
薔薇色の瞳が大きく見開かれ、小さな口は言葉を放ったままの形で開け放される。
ルシアンは気恥ずかしそうに照れ笑う。
「アナベルの後にお風呂に入ると、すごくいい匂いがするんだもの。だから、僕は君の後に入りたいんだ」
「……」
何も言わないでルシアンを穴が開くほど見つめていたアナイスは、ぼぼぼと急に真っ赤になり出した。
熱したガラスのように真っ赤になったアナイスは、心から嬉しそうな顔をして笑った。
「アナベルもルシアンの匂い、だーい好き!」
ベアを抱きしめるのと同じように、ルシアンにぎゅーっと腕を回したアナイスは、キラキラと期待の眼差しでルシアンを見上げた。
「一緒にお風呂に入れば、もっともっといい匂いがするよ!」
シューティングスターが飛んできそうな眼差しに、ルシアンもキラッキラの太陽スマイルを返す。
「そうかもしれない。でも、今日は一人で入るよ!」
「イヤイヤ! ダメなのぉ!! 今日は一緒に入るのっ!」
またまた断られてしまったアナイスは頬を膨らまし、半ば自棄気味にルシアンにしがみ付く。大きな瞳には涙すら浮かんできそうだ。
頑なVS頑なな二人の会話に、ティチエルは固唾を飲みこんで様子をうかがっていた。
そして、そろそろ再起し始めたランジエがいつの間にかティチエルの隣に居座り、羨ましそうに言った。
「なぜ、そこまで断るのか……男のロマンでしょうに」
突然、隣にぬっとあらわれたランジエの顔を見たティチエルは、「ぎゃあ!!」と声を上げた。
「いつの間に隣に来たんですか! ずっと動揺していればいいものを……」
「ほら、ティチエル。そんなことより、そろそろ二人の勝負に決着がつきそうですよ」
「!」
ティチエルは慌ててルシアンとアナイスの方へ視線を戻した。
ぎゅうっとルシアンの腕に抱き着いたまま離れないアナイスに、ルシアンは小さく息をついた。
少しの間困り果てた様に宙に目を泳がせていたが、おずおずとアナイスの髪を一房手に取る。
「ごめんね。僕、君を傷つけてばかりだ」
「……」
一房の髪を手でそっと梳けば、柔らかい質感の髪はふわりとアナイスの肩に落ちる。
むすっとむくれたアナイスは無言でルシアンの言葉を聞いている。
「君とお風呂に入るの、嫌なわけじゃないんだ。ただ……その、」
アナイスの前に置いていあるオレンジジュースのグラスを見つめ、ルシアンは消え入りそうな声で言った。
それは普段の元気なルシアンからは想像もできないシャイボーイな姿だった。
「お風呂で君の姿を見たら、緊張しすぎて匂いが全然わからなくなっちゃうから……」
頬を真っ赤にしてそれっきり黙り込んでしまったルシアンを、アナイスはチラッと横目で窺う。
もじもじと初々しいルシアンの反応をいたく気に入った様子のアナイスは口元ににんまりと弧を描いた。
「じゃあ、緊張しなくなったら、一緒にお風呂に入ってくれる?」
「もちろんさ!」
「じゃあ、今日は許してあげる!」
という、一連の流れを見ていたランジエが一言。
「なんて勿体無い」
さらに、ティチエルが一言。
「さっきのルシアン……素かしら。怪しいのですぅ」
ティチエルがぶつくさ考察していると、突然ランジエがティチエルの腕にしがみ付いた。
「ねーねー、ティチエルぅ!」
アナイスのようなロリっ子がやれば可愛い動作も、ランジエのような普通の美少年がすると体がでかいのであまり可愛くない。
むしろ、おぞましさを覚えたティチエルは服の下に鳥肌を立てていた。
「な……なんですか。離してください」
ぶんぶんと腕を振ろうとしてみるものの、がっちり固定されていて動いたものではない。
ティチエルはげっそりとした顔で次にくる言葉を予想した。
「ランジエとお風呂に入るの……イヤ?」
「ひぃ!」
予想していたが、顔と台詞のあまりの合わなさにティチエルは真っ青になっていた。
「イヤに決まってるじゃないですかっ!!」
「ランジエ……ティチエルの匂いが大好き。お風呂で生の匂いを嗅ぎたいの……」
「いやあああああ、気持ち悪いのですぅうううう!!」
ティチエルの胸の辺りにくんくんと鼻を寄せているランジエはもはや変質者である。
おぞましさと気持ち悪さに涙目になったティチエルは、ランジエの顔を全身全霊を懸けて必死に押し戻していた。
美少年フェイスは頬の肉を押されブサメンと化していたが、ランジエは微笑みを絶やさない。
「離して欲しいですか」
「欲しいです!!」
「それでは、一緒にお風呂に入りましょう」
「……っ」
このゲスが!! と聞こえてきそうなティチエルの目を目の前にしても、ランジエはにこにこ笑っている。
その笑みはティチエルの心の叫びの如く、ゲス顔をしていた。
しかし、ティチエルは本当に追い詰められたのか、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「うっ……えぐ……ひどい……気持ち悪すぎるのですぅ……」
「てぃ、ティチエル!?」
「わ、わたし……ひっく、ランジエさんのこと……信じてたのに……」
「てぃ、ティチエル……!」
「もう、触んないでください……近寄らないでください……においが移るのですぅ……」
「ティチエル……」
ティチエルに拒絶の色濃く腕を振り払われ、ランジエはなす術もなくその場に項垂れた。
某あしたのジョーのように真っ白に魂の抜けた顔をしたランジエと、えぐえぐ涙を流し続けるティチエル。
隣同士に座っているのに、二人の距離はとても遠かった。
真っ白なランジエが消え入るような声で呟く。
「……ティチエル」
「……」
ティチエルは答えずに無視したが、ランジエは続ける。
「私のことは許さなくてもいいです。けれど……」
「泣かないで」
手にも触れられず、顔も見れず、冷めたコーヒーを見つめて言った。
その赤い瞳には反省の色がありありと浮かんでいた。ティチエルはそんなランジエの様子を肌で感じ取り、涙を拭う。
「私もちょっと言い過ぎてしまいました。……ランジエさんもそんな顔しないで」
「ティチエル……!」
ランジエはぱあっと顔を輝かせティチエルの顔を見つめた。ティチエルは涙で真っ赤になった瞳を少しだけ微笑ませる。
ティチエルの優しさに触れたランジエは、ぎゅうっとティチエルの手を握りしめた。
「仲直りに、一緒にお風呂でも入りましょうか」
反省の色はどこにいったと思うような清々しい笑顔と一言に、ティチエルはぷちんと自分の中で何かが切れるのを感じた。
それはギリギリ赤い糸ではかったのだが、ティチエルは杖無しで小さく魔法の言葉を呟いた。
「めてお」
その日、サンスルの喫茶店に火の玉が降ったという。
とばっちりを食らった魔法防御初期値のルシアンが気絶し、大泣きしたアナイスまで巻き込み大乱闘になったのは言うまでもない。
あとがき
アナルシコンビじゃランテチ負けるんじゃ…と思ったあなた。チート変態革命家がハッスルしてくれますのでご心配なく。
アナイス→→→→→ルシが理想形。ルシは皆のことが大好き。ただし、結構確信犯である。
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